2023.02.06
2月の節分といえば病や邪気を払って無病息災を祈念する行事ですが、ここ京都では常に家の戸口の上から睨みをきかせ、鬼どもを払う守り神がいます。
その名も「鍾馗(しょうき)さん」。
古い町家の玄関屋根はもちろん、新築物件やマンションのエントランス上部にも置かれている威風堂々とした瓦製の人形で、京都市内に推定3000体はあると言われる馴染み深い存在です。この鍾馗さんにはきちんとした由来があり、人形の風貌も探るほどに奥深い世界が広がっています。
そんなわけで今回は鍾馗さんについて紹介していきたいと思います。ちなみに正式名は「鍾馗」ですが、京都では親しみを込めて「さん」づけなので、ここでもそのように記したいと思います。
鍾馗さんの来歴は諸説ありますが、中国・唐代(618〜907)に実在した人物と伝えられています。
ある時、鍾馗さんは官吏登用試験を受けるも、その体格や顔があまりにも大きいことを理由に不合格を言い渡されます。それを知った鍾馗さんは自らを恥じて命を絶ってしまうのです。
官吏とは中国の皇帝直属の役人ですから、現代の日本で言えばさしずめ宮内省の職員といったところでしょうか。その面接で顔や体格が大きいから不採用という、なんとも理不尽な結果。今じゃ間違いなく炎上案件ですね。
しかもそれを苦に自死の道を選んだ鍾馗さん。よっぽど容姿がコンプレックスだったのか、絶対的に試験に合格する自信があったのか。いずれにせよその勇ましい風采とは裏腹に、大変にセンシティブな人だったようです。
そんな顛末を知った唐の初代皇帝・高祖(こうそ)。哀れに思ったのか、詫びを込めてなのか鍾馗さんを手厚く葬りました。
鍾馗さんはそれに恩義を感じて、それから約100年後。高熱の病にふしていた6代皇帝・玄宗の夢に現れ、夢裡で玄宗帝を悩ませていた小鬼を退治します。
たちまち快気した玄宗帝は夢で見た鍾馗さんの姿を絵師に描かせ、邪鬼を払う力があるものとして世に広めました。以後、鍾馗さんは魔除けの霊力をもつものとして信仰を集めるようになり、やがて日本にも伝わったとされています。
お気づきの方も多いと思いますが、初代・高祖帝から受けた恩をなぜ6代・玄宗帝に返したのか。これについてはさっぱりわかりません。高祖帝から受けた恩をその子や孫へ返すならまだしも、6代目って…。昔話のツルやキツネでもすぐ恩返しするというのに中国では普通なのでしょうか。疑問が残ります。
そこで私はこの鍾馗さんの奇行に1つの仮説を立ててました。なぜ鍾馗さんは受けた恩を100年後に返したのか。それは自身の傷ついた心を癒し、容姿のコンプレックスを克服するのに100年かかった、とする解釈です。
考えてもみてください。夢の中の小鬼を退治できるような精神力をおもちなら、自ら命を絶つようなことはしないと思いませんか。むしろその大きな顔と体格は鬼退治に好適。かつてそれを恥じて自ら命を絶ったこととは真逆の、自己肯定感強めな振る舞いです。
100年の時間をかけて自分の弱みを受け入れ、鍛え、強みに変えていった。努力を重ね、心身ともに強靭になられたと考えれば、満を辞して6代目の夢枕に立つのも合点がいきます。
鍾馗さんの強さの裏には長年強く抱いていたコンプレックスがあったと考えると親近感がわいてきます。鍾馗さんの人気の秘密は、もしかしたらそうした点にあったのかもしれません。あくまでも仮説による私見ですが。
さて話は戻って、鍾馗信仰はいつごろ日本に渡ってきたのでしょうか。実ははっきりとしたことはわかっていませんが、平安末期に描かれた「辟邪絵(へきじゃえ)」に鍾馗さんが描かれていることから、平安時代にはすでに伝わっていたことがわかっています。
では、いつから京都に瓦製の鍾馗さんが出現したのか。
文化文政年間(1804〜1830)に話題となった事件や噂をまとめた『街談文々集要』に、京都の軒先に瓦の鐘馗さんを上げた「鬼瓦看発病」という興味深いエピソードが記録されています。
京都・三条あたりにあった薬屋の屋根に、ことのほか大きな鬼瓦が設置され、その向かいに住む女房がこの鬼瓦を一眼見るなり病にふしてしまった。医者が言うには、深草の焼き物屋で瓦製の鍾馗像を誂え、屋根に据え付けてみてはどうか、と。その通りにしたところ女房はたちまち全快。ことなきを得たというお話です。
これを機に、京都に瓦鍾馗が広まったとする説があります。
ちなみに現在の奈良県や滋賀県では、お寺周辺の家屋の上に鍾馗さんがいることが多く、これはお寺の霊力で跳ね返された魔物や鬼、つまり“よくないもの”をさらに跳ね返す対抗策として鍾馗さんが一役買っていると言われています。
一方、京都の鍾馗さんは寺院周辺に限らず至るところに設置されているが特徴です。もともとは京都の鍾馗さんも寺院周辺から始まり、多くの寺院神社や家々が密集する都市構造が影響して、お向かいさんが置くならうちも! と、広がっていったのかもしれません。それを裏付けるように多くの鍾馗さんは小さくてあまり目立たない。しかも少し横を向いている鍾馗さんもいて、お互いに角が立たないようなご近所付き合いを慮る工夫も見られます。いかにも京都らしい配慮です。
一説には京都人の魔除け好きがこうじて、祇園祭の粽(ちまき)や正月のしめ飾りのように戸守りとして扱われたのでは、とも言われています。確かに京都は古来、戦乱に巻き込まれてきた地域。幕末には多くの血も流れました。そもそも風水に導かれた土地柄ですから、京都人は筋金入りの魔除け好きと言っても過言ではないでしょう。
現在も、多くの家々を守る瓦の鍾馗さん。邪鬼を払う、火災や地震から家を守ると聞けば一般住宅はもちろん新規開店や会社の創業時には1体据え置きたいもの。瓦製はネットで7,000円ぐらいから、伏見人形だと17,000円から、というのもありました。開業祝いにプレゼントするのも良いかもしれませんね。
『鍾馗さんを探せ!!』小沢正樹著/淡交社刊(2012年発行)
『謎解き京都』読売新聞大阪本社編集局編/淡交社刊(2015年発行)
京都精華大学卒。東京で漫画編集者を経て京都でライター、編集企画業をしています。このたびSTART UP KYOTO運営事務局さんから「京都をテーマにコラムを書いて欲しい」とのご依頼を受け、筆を取りました。テーマがテーマですので武者震いしますが、知っていると京都の見え方、過ごし方がちょっとおもしろくなるかも、というような内容をお伝えしていけたらと思っています。お仕事の参考になれば幸いです。よろしくお願いいたします。
京都精華大学卒。東京で漫画編集者を経て京都でライター、編集企画業をしています。このたびSTART UP KYOTO運営事務局さんから「京都をテーマにコラムを書いて欲しい」とのご依頼を受け、筆を取りました。テーマがテーマですので武者震いしますが、知っていると京都の見え方、過ごし方がちょっとおもしろくなるかも、というような内容をお伝えしていけたらと思っています。お仕事の参考になれば幸いです。よろしくお願いいたします。
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